今日はそんなことを書いてみる。
結論から言うと、ぼくは、ぼくの世界の中で生きていると思っている。
しかし、実際は一つの『世界』というものがあるのかもしれない。
ただ分かっているのは、人は自分が知っている世界しか認識することが出来ないということだ。
だから世界ひいては宇宙というものが一つかどうかは立証することが出来ない。
平行宇宙、パラレルワールド、多元宇宙論という仮説があるぐらいだ。
赤ん坊にとって世界とは育ての親であり、小学生にとって世界とは自分のクラスの中だけもしくはいつも遊んでいる仲間内にのみかもしれない。
現実では世界は自分の意識を向ける方向に拡張や縮小をしていく。
現実には小さな争いが多く、各々の世界の中で多数の人が悩んでいる。
遠くから眺めて見ると、実に不毛なやりとりだと思うのだが、当事者達には大きな悩みである。
他方で、その世界の中でも喜びを見つけたり生きがいを見つけている人もいる。
ただ、前者のように悩んでいるのなら、その世界を変えれば良いのだ。
世界がたった一つしかないのならたった一人で変えるのは不可能かもしれない。
だが、世界=自分となれば話は簡単。
自分を変えれば良いのである。
自分を変えたくないけど世界には変わって欲しいというのは矛盾するのである。
視座こそが世界なのだ。
しかし、人間とは矛盾を抱えているものである。
p.s. 今日は先日書いたエントリーで触れたPlayStation4の発表もあったのでそれについて書こうかと思ったが、他にも実に色々なことを調べたり読んだりした。
その為、まだ頭が整理されておらず混乱しているので、全く違うテーマにした。
人間をジンカンって読めるなんて知らなかったよ先生。