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暇なこと、勝手なこと。

月曜日, 4月 01, 2013
年度末&年始ということもあり、今年度の目標を考えたり、または過去1年間を振り返ったりする人も多いだろう。
ここで、暇なことと勝手なことというのが人間が今の暮らしを享受しさらに作っているということから今を捉え直したい。
時間というものは生きている限り誰にでもあるものだし、唯一と言って良いぐらい人によって差のない平等なものであるはずだ。
そして、人間の生活が始まった時から人生の限りある時間の中で勝手に目標を決めたり勝手にがんばったりする中で効率化され、それでさらに時間が出来て、色々役に立つものが増えてそれが生活の隅々に行き渡って、人口も増えて、さらに色々作り出したものが作用していき時間が余っていく。
これを暇になっていくと定義づける。
暇になると同時に、何かしないといけないとか、何かしたいと人が勝手に思ってしまうことは止めることが出来ないので、暇になった分、忙しくなるということも出来る。
そして忙しくなった分、労働した分の成果物が出来るので、それがさらに豊かな生活をもたらしていく。
そしてまた暇になる。この繰り返し。
まぁ実際には殺し合いの歴史もあるのでそういう簡単なことばかりではないが、基本的に文明というものは人間の暇と勝手が作りだしたものである。
その時々の螺旋を進んで来た先が現代であり、その中に自分がいると感じること、流れていく時間の中に「今」という概念がある。
今、この瞬間には過去も未来も集約される。
これを書いている私にとっては今だけど、読んでる人は私の過去に書いたものをみている。
そんな言葉遊びはさておき、その今をどう過ごしているかで未来は規定されるのもまたしかりなので、今に過去と未来が集約されているというのが分かってもらえるだろうか。
このことが冒頭で書いた目標を立てるや過去を振り返る季節に何故必要なのかっていうと、好きなことを勝手にやるということが出来ているのかどうかを確認して欲しいからである。
好きなことというのは、誰かに自慢したいことや誰かにやって欲しいと期待されてすることではなくて、むしろ何故かは分からないけど、我慢出来なくて勝手にやってしまったようなことだ。
私であれば、今まで知らなかったことなどを知りたいのでネットや本を読んだりするという漠然なものからブログに書くことが勝手にやった好きなことでおそらくこの先も続けていくと思われる。
こうした勝手にやったことは生活の中で全然関係のない瞬間に結びつくものである。
だから、全然役に立ちそうにないものでも熱中してやっていいし、むしろ役に立つと思ってやっていたことより「楽をしたい」とかいっけん不純な動機の方が実際の役には立っているということは歴史が証明している。
だから、たまには自分の心の声に耳を傾けたいものだ。
好きなことを情熱を持ってやるという気持ちを持ち続けたいものである。
逆説的だけど、その為には暇が必要なのである。
暇を作り、やりたいことを勝手にやろう。

Listen the sound of secret minds

自戒を込めて。
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