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保身と「決着」をつけていく

水曜日, 1月 01, 2014
ニコニコ動画で昨年おこなわれた『言論コロシアム年末企画「決着2013」』をみた。
長いので飛ばしてるところもあるけどずーっと見ている感じ。国土や在特会などの政治的なもの、婚活からシェアハウスについて、映画や文化についてなどなど様々なテーマを様々な分野の人達が話していく。

さて、この放送は事前に知らなかった紀里谷和明氏が出ていて、話を聞いていて一発で彼のことを気に入ってしまった。それは紀里谷氏が話していた内容があまりにぼくが近年考えているいくつかのことに非常に似ていたからである。

内容は大体こんな感じである。

「なぜ人はもともとないコンプレックスをシステムの中で抱える必要があるのだろう。その悩みは本当に悩むようなことなのか。なぜ自分が言いたいこと、やりたいことが出来ないのだろう。なにを一体恐れているのだろう。そのストレスを解消する為に働いて金を稼いで消費をすることは本末転倒なのではないのか。」

正直言って、ぼく自身はあまり日常的にストレスに苛まれることはない。しかし身の周りには常にこのストレスで愚痴を言っている人が絶えない。そういう村意識から成り立つ世間という狭い世界観や価値観というのは変えていきたいと思う。だから話していてもそういう人達の目線を変えられるような話をしたりすることが多い。理解されないことも多いが。

この放送では日本で映画を作るのに限界を感じてハリウッドに進出したら更に巨大な仕組みに組み込まれていったという過去を暴露している。結局、自分のやりたいことをやるためには独立するしかないと「決着」し来年にはモーガン・フリーマンなどが出演する久しぶりの撮りおろし映画が公開されるとのこと。放送の舞台はニコファーレでおこなわれているので紀里谷氏の一人語りに対して辛辣なコメントや茶化すコメントもあるがそれに答えていくのが面白い。
「性格の良さって何?それは周りに合わせる能力が重宝されているだけなんじゃないかな」という返しもそうで、小学生の頃に図書室に教師に呼び出されて作文を消しゴムで消して書き直せと命令されて殺意を抱いたなどのエピソードも人となりが分かって面白かった。

ぼくは紀里谷氏よりも卑怯なんだが、学生の頃、戦争についての作文を書かされたエピソードがある。
当時のぼくが書いた内容は「ぼく達は戦争を体験してない。なのに今日、戦争や原爆について学習したことの感想文を書かせて何を聞きたいというのだろう。先生達に喜ばれそうなことをステレオタイプに書いて可哀想とか反戦の誓いみたいな作文を共有することに何の意味がある?」というような作文を書いた。教師を批判する内容であった。しかし、それがなぜかその教師気に入られて皆の前で発表するように言われた。
真面目な雰囲気の縦割り教室で上や下の学年の先輩達を前に、ですます調で書いていない作文を読むのが、当時のぼくには耐えられなかったので隣の友人の作文を借りてそれを発表して切り抜けた。そういう後悔は記憶に忘れずにたまっていく。
そこにあるのは自分への保身である。そこに「決着」をつけていくこと。紀里谷氏のスピーチを聞いていて改めて思った次第である。


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