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信仰という名の幻想 - 書評 - 戸籍と国籍の近現代史

日曜日, 12月 29, 2013

2013年はなぜか多くの日本人論を読んだ年となった。そんな今年の最後にこの本に出会えたことが嬉しい。
なぜなら様々な本を読んでも掴みにくい「空気」というものが本書では「戸籍」という身近にあるが遠い無色のものから解き明かされているからである。

日本の中心的な意思決定のプロセスは実体のない「空気」によって醸成されるものであり誰も責任が取れないし、取らない仕組みになっている。その空気の象徴的なものとして記号としての天皇がある。神武天皇から始まる源流、つまりストーリー(物語)になっている。だから戦後にマッカーサーはこのストーリーを葬り去ることは政情不安につながるとし昭和天皇を不起訴にした。この辺までがある程度知られていることだと思う。

本書ではこの天皇の万世一系の物語は「家」...つまり戸籍制度として国民にインストールされていることを挙げている。家は国体と同じストーリーを共有することで信仰する対象になっているのだ。
本書の三百頁から引用する。
重要なことは家の純血性と一体性なるものは、同一の戸籍に入って同一の氏をもつという書面上に表される形式的な条件によってしか担保されないものだということである。よって、戸籍に表現される家が常に形式的・技術的な觀念である以上、戸籍の証明する「血統」というのも純粋に生理的な意味ではなく、単に戸籍を同じくするだけの記号的な「日本人」の系譜としての意味にほかならなかった。今日もなお「日本国民」の資格の根本的基準とされる血統主義の観念は、こうした戸籍の本質に照らせば限りなく信仰に近づくことがわかるだろう。 
これが日本の戸籍制度なのである。そして信仰させることで共同の幻想を作り出し戸籍を国民に強制することなく自ら望んで入る体制が出来たのだ。その裏で戸籍に入らぬもの、もたぬものを差別し排除してでも、である。これは個人が自立した上で生活をする為に国家があるという近代民主主義の潮流とは違い国家を存続させる為に国民(臣民)が存在するというものである。

さて、そこで考えることはインターネットが世界を繋ぎグローバリゼーションも平行して進むという事実だ。その中で日本は少子高齢化や人口減少がいっそう進む。その流れをみていると、従来からある戸籍の整合性はもはや保てなくなるだろうことは明らかだ。
本書の希望は戦争があっても変わらなかった天皇という大きな物語を変える(廃止)よりも、戸籍制度を時代に合わせて変えていくことの方が現実的で、かつ日本の閉鎖的な「空気」を変えることにも繋がるという僅かながらの期待を持つことが出来ることである。多様な個人の生き方を受け入れる開かれた社会になっていく必要がある。

ぼくは近現代史についての知識が深いわけではないから読んでいていちいち膝を打つことが多くて、だいぶ理解するのに時間がかかってしまった。戸籍とはそもそもなんぞやという人の為の導入部分にもかなりの部分が割かれているので教科書的でもあるが時間をかけてでも読むべき本であると思う。
あとがきに書いてあるように法律分野ではなく社会学や政治学として戸籍の研究をしているのは著者ぐらいらしくマイナーのようだが本書はその着眼点は斬新で歴史に残るのではないだろうか。

★★★★☆
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