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近いと違い - 茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの「憎しみに、とらわれている人は」を読んで

火曜日, 4月 16, 2013
 今朝の茂木健一郎の連続ツイート「憎しみに、とらわれている人は」を読んで考えたことがあった。これは近親憎悪についてである。
茂木さんは科学者でありながらも情熱や直感の人である。
しかし、文体だけみると文系的な雰囲気すら漂っている人は稀だろう。そういうバランス感覚に長けていると思う人の一人である。
さて肝心のツイートをTogetterから一部引用してみる。

茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第911回「憎しみに、とらわれている人は」




日韓の感情的対立、というのも同じようなもので、正直、ヨーロッパやアメリカの人から見たら、どちらも似たようなものだ、と思うだろう。ところが、当事者の一部は、相手がとんでもない、許せないと小さな差異をあげつらって憎む。遠くから見たら、理解不能である。家族や親戚どうしの憎しみが、いちばん深くて面倒臭い、というのは多くの文学作品が描いているところだが、遠くからみたらどっちもどっちで似たもの同士なのに、なぜそんなにこだわっているんだ、と言っても、憎しみにとらわれている人にはメタ認知がないから、気づかない。憎しみは常に近親憎悪なのであって、彗星を憎んだり、小さなカメムシを憎んだり、空飛ぶハトを憎んだりという人はあまり聞かない。憎しみにとらわれている人は、憎しみの対象が実は自分に近いんだ、ということを自覚したら、はっと気づいて目覚めるじゃないかと、私は考える。


これを読んで別の視点を付け加えてみる。生物学的にも、ホモサピエンスは単一種であり人種というものは存在しないので、憎むもの程自分に近いものであるということはなるほどと思う。
人間が一番憎んでいるものは人間である。
憎しみあってる双方の意見に耳を傾けると、互いに持っている情報が不足していたり、単にコミニュケーション不足な場合も多い。それなのに単なる思い込みで人を憎むなんて全く何のメリットもなく馬鹿らしいのである。
遺伝子レベルまでレイヤーを移行すると※1 集団間の差よりも集団内の差の方が大きいという調査結果 もある。
茂木さんの主張はメタ認知とかも出てくるので形而上学の分野だと思うが、遺伝子生物学まで視点を変わると一見、違うように見える。
茂木さんの指摘は素晴らしいが、故に何事も参考にしても鵜呑みにしないということも重要だと思っていた
しかし、考えながら思ったが、近いものほど憎むということと、集団内には集団間よりも違いがあるということは実は導ける結論は同じなのである。この一致を見つけたことが今日の発見だ。

集団内の多様性を受け入れ、憎しむことなかれ。


そして集団を広げていけば良いのである。以前違うテーマのエントリーでも触れたけど、理解を示そうという努力も必要だけど、分かりあえないことを分かりあうことの方がより必要なのである。


〈参考〉

※1 遺伝子の不都合な真実: すべての能力は遺伝である (ちくま新書) / 安藤 寿康
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