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空気という名の宗教 - 書評 - 『空気の構造』池田信夫

日曜日, 8月 18, 2013

副題は日本人はなぜ決められないのか。という本書は空気が原発を止めたから始まり、古い文献も目的に応じてサーベイしてある日本人の意思決定のプロセスを解き明かそうとする意欲的な本である。

いきなり脱線して悪いが、最近流行りの『半澤直樹』というドラマがある。
ドラマでは大阪西支店の融資課長である半澤直樹(主人公)が支店長からの強い命令で西大阪スチールという会社の融資案件を受け、それを本社に認証してもらった上で融資をしたのはいいが西大阪スチールは計画倒産。そのまま債務者にも逃げられ五億を焦げ付かしてしまうという所から始まる。
この際、この失敗を支店長や本社は一切責任をとらずに半澤ひとりに責任を転嫁する。「だったら、最初から本社なんかいらないじゃないか。」というのが半澤のセリフであるのだが、これがまさに責任が最初から明確にされていない為におきる、誰も責任を負わないという「空気の構造」なのである。つまりは、現場が決めて上は、下の持ってきた案件の利害調整だけをするという構造。
原発は五十四基中の二基を残して停止中であるが、実際にどこからが停止命令を出して停止している訳ではないことを知っている人は少ないと思う。




空気はムードと捉えるといい響きに聞こえるかもしれないが、同調性圧力と聞くと分かるように良いことばかりではない。
日本は戦争もしかり、高度経済成長時もしかり、この「空気」というものを巧みに使いこなしてきた国と言っていいと思う。
空気は良い時はいいが、悪い時は止めようがないという構造をもっていることが本書を読めば分かるはずだ。

公平を期す為に書いておくが、世界中の国々を回った友人に聞いた話では、海外にも同調性圧力が全く無いわけではないという。
しかし、実際に日本で生きている限り、明文化されていない決まりごとが自分の身の回りには多くないだろうか。もしくは増えていないだろうか。これは海外の罪の文化と日本の恥の文化を対立軸において本書で取り上げられている。
古い文献を多く引用しているので、それなりに知識がないと読みこなせないと思うし、私自身も読破したというほどまで自信過剰でもない。
しかし、読み進めていくと空気を読むという日本人にしか通じない言葉に対して俄然、疑問と興味が湧いてくるのだ。
結論から言うと、「空気の構造」は即ち日本の構造ということに他ならない。それは空気の象徴が天皇という記号であり、東京の都心を上空から俯瞰すると中心に大きな暗闇があり皇居であるということが物語っている気がしなくもない。
本書で随所に出てくる山本七平の文献の引用のあとに続く著者の言葉を引用する。

" 意思決定の責任ある人を「ああせざるをえない」心境に追い込む「空気」は、日本では「一つの宗教的絶対性を持つ」と山本は述べる。それは西洋の宗教戦争で何百万人の人々が信仰のために死んでいったのと同じくらい強いモチベーションとなったが、その宗教としての内容はほとんどない。
 彼らが「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいったからといって、天皇をなくせばこういう行動がなくなるわけでもない。天皇は日本人の共有する「空気」を象徴する記号にすぎないからだ。「戦争をなくすために日の丸や君が代を廃止しよう」という人々は、意味するものと意味されるものを取り違えている。"
『空気の構造』六十六頁より

三十歳の誕生日プレゼントとして本書を友人に貰ってから、前回、前々回と当ブログでとりあげた日本文明論を読んでいたので大分、イメージが固まってきた。
「空気」のことを知りたかった割りには、山本七平を読んだことがないのが今現在の私の限界を露呈してもいるが。
けど、著者の池田信夫も言っているように、本書は客観的、学問的に「空気の構造」を解明しようと挑戦してはいるが、どうしても定性的、つまりは性質的であり印象論を述べている他の本と決定的な違いはないのが気になる。
となると、実際に観測出来るものではない「空気」というものを歴史的文献からこれ以上追求しても仕方がない気もしているので、この辺で良しとしておく。
歴史ではなく、テクノロジーは進化する一方なので、ソーシャルメディアやライフログのビックデータの研究が進めば徐々に空気の中身が性質的だけではなく定量的に分析されるようになると思っている。

★★★★☆



 結局、山本七平の本もKindleでポチったのだけど。。
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