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趣味とスタンス - 書評 -『科学を語るとはどういうことか』須藤靖、伊勢田哲治

金曜日, 8月 23, 2013
副題の「科学者、哲学者にモノ申す」の通り、先日書いた『主役はダーク』で知った物理学者の須藤靖が、科学哲学が専門の伊勢田哲治に質問をするという対談本である。
対談本だが、簡単にいうと理系対文系の構図になっていて、和やかな雰囲気とは対極にあると言っていい。何せ「科学哲学はアホなことを言っているとしか思えない」とか最初から言っているんだから(笑)

まず、デェイビッド・ヒューム以来からあるビリヤードの因果論を徹底的に批判する所から始まる。
物理学の「情報は光速を超えて伝わることはない」という因果律と、哲学で語る原因→結果、さらに原因=結果という因果論は全く似て非なるものだ。
初期条件で結果はことごとく変わるし、確率的振る舞いをするミクロの世界もあれば、マクロの世界でもエントロピーは増大するということを一切無視した因果論の追求なんて意味があるのか?というのが須藤の疑問である。
つまりは性質を語るまでも及んでいないと言いたい訳だ。

次に、界隈では有名なアラン・ソーカルの話題にも及んでいたのが面白かった。何故あのような事件が起こるのか、そしてポストモダンの荒唐無稽な話がまかりとおるのかはその世界の中に閉じていることと、査読の仕組みが働いていないことに尽きるだろう。
「あの雑誌は有名ではない」などの言い訳は少々苦しい気がする。

それはさておき、須藤も哲学が必要ないと言っている訳ではなく、むしろ必要な為に科学と科学哲学が全く違うベクトルで機能するのではなく歩み寄って科学者の気付かない点を指摘して欲しいと言っている点は公平で好感が持てた。しかし、単著に比べるとジョーク成分がない為、科学哲学が扱う問題を「趣味の問題」など断定した辛辣なコメントが多くて伊勢田と喧嘩にならなかったのが不思議なくらい。

最後まで全てを分かりあうことはないのだけど、考え方の切り分けが進んだことでスタンスの違いが明確になったのが良かった。これを読むと自分のスタンスも確認することになるだろう。
分かり合えない所をラインを引いてお互いが否定する訳ではなく認め合うというのはいいことで、違いを認め合った上で建設的な議論や研究をした方がいい。
世の中で知る限りどうも性質的な話の方がまかり通っている気がするし、確率とか定量的な結果はどうも受け入れることが出来ない人が多くいるのは事実のようで、文系と理系を上手く繋がなければならない。

★★★★☆
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