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ひろゆきとかわんごの違い = 2ちゃんねるとニコニコ動画の違い

月曜日, 1月 28, 2013

http://www.zenlarock.com/blog/20120502232911db1.jpg より

2ちゃんねる元管理人で株式会社ニワンゴの取締役ひろゆきこと西村博之氏と、ニコニコ動画の株式会社ドワンゴのかわんごこと川上量生氏の今日のTwitterでのやり取りが面白かった。(以下敬称略)

実際はひろゆきのツイートを読んだかわんごが感想と現状認識を呟いたという流れだったが。何個か、かいつまんで上げてみよう。





こんな感じのやりとりは前にも東浩紀ともあった。その時のかわんごのツイートで僕が印象的だったのは東浩紀さんに対するリプライ。


ひろゆきはネット原住民側でニコニコのやり方がマス向け(テレビ的)になっているのを憂いているし、ニコニコ超会議もやっても良いがニコニコ全体がそれを盛り上げる構造は地方にいる人達に疎外感を与えるだけでネット的ではないと述べている。ニコ生公式放送やブロマガについても他に出来無いことや違う切り口じゃないと低空飛行をするとする。

他方で、かわんごは自身もネット住民では有りつつも、既にネットはSNSの普及でネット原住民だけのものでは既になく次のフェーズに入っているんだから、ネット原住民だけにサービスを固定することに未来はないとしている。


ひろゆきとかわんごの違いはそのまま2ちゃんねるの思想とニコニコ動画の思想の違いを表している。

ひろゆきは、プラットフォームを整備した後は自由にやらせることで勝手にコンテンツは自動生成されるし、面白いコンテンツが残る派で、かわんごはプラットフォームの上に載るコンテンツ自体にも、利用する側のニーズや時代の流れの中でバリエーションを増やしたり、支援していくしかないという感じ。


明らかに今後も増え続けるリア充達が利用するサービスとして相応しいのはかわんごに分があるが、その方向性が既存のネット住民の中には寂しいと感じる人が一定数いるようである。このやりとりに関しての感想は、ひろゆきの悩みは一言で言うと杞憂だと思うのだ。金にならないようなことに必死になってる愛すべきバカ達のコンテンツが面白いというのは分かる。ただ、このままだと多様性が消えていくというのはどうだろう。ひろゆきの言う多様性は、"マスを取り込まない"というネットの中での閉じた多様性ということになる。しかし、それは本質的に多様性ではない。しかもニコニコ動画の方向性がつまらなくなった人も、違う物を探すということが出来るということは、そもそもプラットフォーム自体が担保しているので、コンテンツを拡充や支援していくことはいいことだ。他のことに興味ない人は他に目を向けなくてすむのも多様性のあるコミュニティが沢山あるからこそ成立しているのである。ひろゆきはコミュニティを大事にしているのが分かる。2ちゃんねるをパケットモンスターに譲渡した(形式だけだとしても)プラットフォームのコミュニティを守りたかったのではないかと想像したみたり。まぁペーパーカンパニーなんだけどね(笑)

さて、なぜぼくがニコニコ動画をブログで取り上げるいるのかはそれだけドワンゴに興味があり将来性があると思うからだ。YouTubeの動画をリンク表示してコメントを乗せているだけの頃から全く違う方向にシフトしてきて、党首討論まで行なうようになるとは誰が予想したのか?そんなニコ動は日本のメディア業界を席巻するだけの将来性を持っている。閉じたコミュニティとマスも取り込んだ混沌とした多様性がニコニコ動画の魅力である。

そういえば一般公開されたブロマガも始めようかな。


〈参考URL〉

かわんご / http://twitter.com/kawango38
ひろゆき / http://twitter.com/hiroyuki_ni
http://ja.wikipedia.org/wiki/ドワンゴ
http://ja.wikipedia.org/wiki/ニワンゴ
ひろゆきvsかわんごのコンテンツ論 / http://togetter.com/li/383143
ニコニコ動画で有名になっても良い事がなかった話  /  http://anond.hatelabo.jp/20130124181650
ユーザーが欲しいものを提供するはずが、「こういうユーザーが欲しい」に変わっちゃう話。 / http://ch.nicovideo.jp/hiroyuki/blomaga/ar66576


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